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朝鮮時代の宣祖の時、連原道の察訪を歴任した三梅堂の朴継立(1600~?)が官職から退いてから1644年(仁祖22年)に建てた建物である。
朴継立は、自らの雅号に合わせて庭園に梅の木三本を植えて三梅堂と呼び、建物の西に東屋を作り柳の木5本を植えて五柳亭と呼んだ。 前面3間、側面2間の構造に八作屋根にした建物の内部には、尤庵の宋時烈が書いた“三梅堂八景”と多くの文人の詩が木板に掛けられている。