
文忠祠
儒学者の宋秉(1836~1905)、宋秉(1839~1912)兄弟の祭祀を行うために建てられた祀宇である。
二人は、宋時烈先生の子孫で、兄の宋秉は乙巳条約(第2次日韓協約)(1905)が提携されると乙巳5敵の処断と国権回復を請願する上疏をしてから自ら命を切った。弟の宋秉も国が滅びると兄の後を追って自殺した。
祀宇は、前面3間、側面2間の大きさに切り妻の瓦屋根にした、簡潔な翼工系建築様式で建てられた。 建物の入り口には紅箭門と忠臣旌閭閣があり、内部には文忠祠、竜洞書院、外三門がある。 本来は1908年忠清北道永同に祀宇を建てたが、1966年先生の故郷に近い今の場所に移した。
- 指定番号 : 文化財資料第4号
- 位置 : 大田広域市東区竜雲洞356-1